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実質三分割…ほんとにすみません;;;
30分の枠のなかで、これだけの歴史的背景・ドラマを収めてしまったスタッフの手腕には、感謝と感動以外の気持ちが出てこない!

というわけでいよいよ母成峠にさしかかるので後半も長いです...orz
萌えじゃなくて燃えが止まらんかった…。
それでも良いよーという女神さまは右下からどうぞ;;;


さてBパートです。

──【会津福良 新選組陣営】──
土方さんが復帰したシーンなので、おそらくは7月6日。
ここまでに斎藤さんと正木さんは更に3回、白河城奪回作戦に参加してるはず。
そして7月15日、最後の白河城奪回作戦に破れて旧幕府軍は白河城奪還を断念します。
アニメではそこは描かず7月29日の二本松落城に進みます。
白河城はゲーム『薄桜鬼』で重要な舞台になるのでそちらをお楽しみくださいv ということですねv
ゲームの世界は壊さず、アニメでは歴史も追える。
一挙両得!!vvv(>_<)vvv

──【慶応四年八月】──
さて母成峠です…!! 地図も布陣図(手書き)も用意してお待ちしてました!
映像はたぶん本格的に戦闘が行われた8月21日。
ちょ…史料どおり、霧がたちこめてるよ…!!(感激)
新政府軍が田んぼを駆け抜けて寄せてくる先は、萩岡か八幡前陣地。ここまでは峠というより盆地みたいに開けています。
印象的な三つの台地は、おそらく八幡山陣地・中軍山陣地・東ソネ陣地の三つの陣地で形成される第二台場。
川からそびえる断崖は、きっと新選組が布陣した勝岩。
もうね、どの背景も映されるのは数秒ですよ。それなのにこのクオリティ!
泣けた。マニアとして!(涙)

まぁマニアな感涙は置いといて、土方さんは斎藤さんたちと別行動っぽい…?
新選組とは別に、前線部隊を任されたんじゃないかなーと推測。
だって、西洋式軍隊の運用も学んでいる大鳥さんは全体を見通して戦略を立てる総大将で、京都の頃から戦い抜いて来た土方さんは現場を良く知る指揮官で戦闘能力もずば抜けて高い。
となればこのタッグは最強じゃないですかvvv
そして、ここで斎藤さんと正木さん部隊の別れ……。
少年兵が出て来たのは白虎隊へ捧げる哀悼の意でしょうか。
ここが破られれば後がないという状況下で、客分である斎藤さんに子供達も会津も託すと決めた会津藩士、正木さんたちの心情はどんなものだったのか、計り知れないんですけど……。
「必ず、戻って容保公をお守りください」
という願いが果たされるであろうことは、確信していたと思います。

そこまで、信じた相手を信頼できる。
そして信じた相手から信頼を寄せられればそれに応える。
強さだけじゃなくて。
それも「武士」の在り方だと、言えるのかも知れません(;_;)。

──【塩川 旧幕府軍陣営】──
「容保公のご意向なんだよ…」と哀しげに仙台行きを命令する大鳥さん(大好きだ!)。
おそらく、これは8月23日。
いよいよ新政府軍が会津若松城下に入り、市街戦を繰り広げた新選組はこの日、米沢街道を北上した塩川に移動して陣を構えています。

歴史では、8月21日の母成峠の敗戦から土方さんと大鳥さんは別行動でした。
実際の撤退は本当に悲惨で…旧幕府軍の兵士たちは山で迷い、散り散りになってしまいました。斎藤さんもさんざん迷って、夜になってやっと猪苗代城で土方さんと合流したようです。大鳥さんと伝習隊はもっと大変で、合流に丸2日くらいかかってます;
しかし、アニメでは新選組と大鳥さん以下伝習隊は一緒に居られたみたいですねv

母成峠からの撤退先となった猪苗代城は翌日22日に落城し、土方さんはその日のうちに会津若松城下の滝沢本陣に着陣したという記述があります。滝沢本陣には容保公と、弟の桑名藩主松平定敬公が入っていました。新選組も東山の天寧寺や城下一ノ町あたりに宿陣したそうです。
歴史と違って土方さんと一緒に行動していたっぽい大鳥さんは、滝沢本陣にて容保公から仙台転戦を命じられたんでしょうかね…(;;)
歴史では9月8日まで会津に残って戦っていた大鳥さん。
さぞかしご無念だったと思います(;o;)
でも、大鳥さんは頑張って仙台に行こうと土方さんを説得します。
どうしても納得しない土方さんに「これは、総督としての命令だ!」と、彼らしくない怒号を発して──

ハッとなる土方さんは、絶対、近藤さんに局長命令を出された時のことを思い出していましたよね…。
うわーん何という展開!!

「これじゃ、近藤さんの時の、二の舞じゃねえか…!」
もう…ここの土方さんにはほんと泣ける(涙)
守りたい相手を守らせてもらえない。
その相手が大切にしているものを託される。
託されるが故に命に反するわけにはいかないけれど、命に従うことによって確実に相手を失うことになる。
それでも、土方さんは背負っていくんですね。
近藤さんの時には「新選組」を託された。
会津藩の時には「武士の誇りと気概」を託された。

更に、斎藤さんからは一回り大きなものを託されました。
「新選組は武士を導くもの。道標です」──。

武士団である新選組。
武士であるということ。
更に、その武士を導くもの。
だんだんと、託されるものが大きくなっていくんですね…。

生まれながらの武士ではない土方さんだからこそ、武士であるとはどういうことかを模索し、自らの将である近藤さんに忠を尽くし、武士団である新選組を引っ張って来た。
「武士として、この会津藩を見捨てるわけにはいきません」と言った斎藤さんに、
「耳が痛えな」と返した土方さんには自覚がないのでしょう。
それでも、彼の生き方こそが武士であるのだと。
その姿を、彼の導く新選組を見続けてきたからこそ、千鶴ちゃんは斎藤さんに「大切なのは、武士の魂が変わらないこと」と言えたのではないでしょうか。
だから、武士というものは何かを模索していた斎藤さんは答えを見つけることが出来たのだと思います…。

──【会津 高久村】──
慶応四年九月、おそらくは5日。
この日、会津若松城下へ、日光口から新政府軍の攻撃がありました。
篭城していた会津藩家老、佐川官兵衛は鶴ヶ城の西、住吉神社に陣を構えて迎撃します。
白河口が南東からの入り口なら、日光口は南西からの入り口。
ここを守ろうとしたわけですが…。
城下への入り口は、まだあります。
鶴ヶ城の北西、越後口です。
もしここからも同時に攻められれば、日光口を守ろうとする会津軍は背後を取られることになります。
高久は越後街道沿いの村。
これは私見ですが、斎藤さん率いる新選組は、この会津軍の背後を守る為に高久で戦ったんじゃないかと思っています。

しかし鶴ヶ城は篭城中、佐川官兵衛率いる会津軍も精一杯、高久に援軍なんて望めません。
大鳥さん率いる伝習隊は──
アニメ薄桜鬼では、土方さんと一緒に既に会津を去っています。
歴史では、越後街道から分岐して喜多方市(会津若松の北)に出てくる国道459号沿いで断続的に戦闘中。これも援軍なんて望めません。
斎藤さんと新選組は高久から越後街道を3kmほど押し戻された、如来堂近辺で壊滅します。
この日の戦いで会津軍の本陣となっていた住吉神社まで、あと2kmちょっとの地点。
斎藤さんと新選組は、ぎりぎりまでめっちゃ頑張ったと思います…(涙)

斎藤さんは生き残って、明治の世まで会津藩に微衷を尽くしました。
武士として、そして武士という階級がなくなっても、彼の魂は武士であり続けたのだと思います。

嗚呼もう大好きだ!!


以上、とんでもないことになった碧血録7(通算19)話感想、終了です;
こ、ここまでおおおおつきあいくださったかたがいらっしゃいましたら、
心より感謝申し上げますーーーーー!!

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だいすきです。

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