期間限定薄桜鬼ブログ
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午(ひる)時を前に淡雪は露と消えたが、墓地には湿気た冷気が低く垂れ籠めて残った。
午を過ぎても曇天下の地面は濡らされたまま陽に温められる機会もなく、冷たく凝(こご)っていた。
その中でなお、千鶴は墓碑にすら名を残すことが許されなかった隊士たちの前に跪いていた。
少し視線を上げると、無名の石碑より少し奧まった場所に、故あって粛正された隊士たちの墓が戒名を与えられて並んでいるのが見える。綱道の上洛より以前に行われた粛正では命か薬かの二者択一を迫られる必要がなかったのだ。
薬さえ無ければ、血に狂う化け物と化して残虐な罪を犯すこともなかったはずの者たち。粛正の憂き目に遭ったとしても、薬さえ無ければ少なくとも人として葬られることは叶ったはずだ。
「……そんな薬を、作った人の…娘なのに……仲間に、なんて……」
なれるはずも。
最後の言葉は音にならなかった。
千鶴は奥歯を噛みしめた。
ざ、と地面に両手をつき砂利を掴んだ。
土と露を含んだ砂利は白い手を汚した。構わずに握り締める拳の中から、ぎちりと砂利が不快な音を立てる。
詰めていた息を一気に吐き出すと、周囲までが白く霞んだ。
刻は過ぎ八つ時も終わろうかという頃合いになると、薄闇が墓石の合間に紛れ込み始めた。
自分の手拭いで石碑を磨いた千鶴は、再び墓石の前に膝をついていた。
隊士たちの冥福を祈り、父と薬と新選組に関してまとまらぬ想いを巡らせ、墓の掃除をし、やることが無くなってしまってもまだ、千鶴はそこを立ち去ることが出来ないでいた。
膝をつき、両腕をだらりと脇に下ろしてぼんやりと石碑を見つめる。片手には湿気た土埃にまみれた矢羽柄の手拭いを持ったままだ。冷え切っている上に手拭いが含む水分で更に体温を奪われ、その指先は汚れた柄のように鈍い赤に変色していた。
「……とうさまの、せいで……」
指先の色に反して声には全く色がなかった。
白くなる息に紛れた声は彼女の口元だけをかすめて霧散した。
他の誰の耳にも届かなかったはずのその声を、だが彼女の背後で拾った者がいた。
「おかげで、とも言えるけどね。山南さんの左腕は動くようになったんだから」
千鶴は首だけを僅かに動かして声の主を視界の端に収めた。
薄い笑いを浮かべた沖田がそこに居た。
「こんなところでこんな時間まで何してるのかな。お墓参り? そこに居るのは君を殺そうとした隊士たちなんだけど」
敷石の上を綺麗に歩いて、沖田は千鶴の隣に立った。千鶴は彼と視線を合わせようとはせず、僅かに巡らせていた首を元に戻した。
「……そうですけど……」
相変わらず千鶴の声は感情が抜け落ちたようだった。
「あの人たちを……変えてしまったのは…父の薬です……」
彼女の口から白い歪(いびつ)な塊りが幾つも立ち昇る。
それを、苛立たしげに吐いた沖田の溜息がかき消した。
「君さ。自分が子供なんだってこと、もっと理解しようよ。綱道さんの研究も隊士たちの選択も、君が責任を負うことじゃないし負えるわけもない。それよりも君がしなければいけないことが他にあると思うんだけど」
沖田の声が容赦なく千鶴に降る。
それを身じろぎもせずに全て受けて、千鶴はぽそりと呟いた。
「父様を、探す……」
「そのために生かされてるってこと、忘れてないよね」
笑みの気配の無い沖田の声に、千鶴は細く細く、長く、息を吐いた。
「そうですね……」
ようやく千鶴の声に感情が乗った。
苦い色だった。
千鶴がゆらりと身を起こす。
立ち上がろうとして──だが膝が上手く伸びなかった。
体勢が崩れた。
後ろ向きに倒れかけた千鶴を沖田は反射的に抱きとめた。
小柄な彼女は沖田の腕の中に収まり、それでもまだ沖田の懐には余裕があった。倒れかけた勢いのまま傾いた首筋は細く、肩は薄く、その身は軽かった。
沖田は少し目を細めた。
千鶴をそっと引き上げて立たせ、両腕で支える。
千鶴は沖田の腕の中に収められたまま、抵抗する素振りを見せなかった。
沖田は少し身をかがめた。
湿気をおびて氷のように冷たい千鶴の頭に頬を乗せると、前髪が降りてきて沖田の顔を隠した。
「……君はさっさと綱道さんを見つけて、ここを出て行くべきじゃないかな」
千鶴が今まで耳にしたことがないほど優しい声音で沖田は言った。声に混じる呼気がふわりと白くなる。
「君がここを出ても新選組の秘密を漏らすなんて、もう誰も思ってないよ。後はきっと……新選組が、悪いようにはしない」
千鶴の返答は無かった。
沖田は顔を上げ、千鶴が立っていられるかどうかを確認しながら、彼女を囲っていた腕をゆっくりと解いた。
その場に立った千鶴は、何か考えているのかただ憂いているのか判然としない瞳を足元に落としていた。
沖田は小さく息をついた。
千鶴の手から手拭いを抜き取る。そして空いているほうの手を千鶴の頬に添えた。
「──もうすぐ、夕飯だから。早く戻りなよ」
体温を残すように。
或いは、離すのを惜しむように。
沖田の手は千鶴の頬の上で少しの逡巡を見せ、そして離れていった。
返答をするでもなく沖田を見送るでもなく、千鶴は足元に視線を落としたまま、暫くそこに佇んでいた。
屯所に戻った沖田は井戸で水を汲むと洗い桶に千鶴の手拭いを放り込んだ。
無造作に片手を突っ込んで一瞬、動きを止める。
指先で手拭いをつまんで桶から引き上げた。
手拭いのほうが冷たかったのかもしれない。井戸水の温度は、寒い時分には温かく感じられるものだ。
沖田は滴る水を無表情に眺め、そして、両手で手拭いを洗い始めた。
それから間もなくして沖田が洗った手拭いを絞り桶の水を流していると、縁側に文箱を持った斎藤が通りかかった。
「……総司」
井戸端の沖田に、斎藤が声を掛けた。
「ん? もうすぐ夕飯だって、伝えてきたけど?」
振り返り、誰に、とは言わず。千鶴を呼びに行かせた張本人に沖田は笑顔で返答した。
沖田の笑顔に対し、斎藤は怪訝そうな眼差しを無言で沖田の手元に向けた。赤い矢羽柄の手拭いはどう見ても沖田のものではあり得ない。
沖田は更ににこやかに笑った。
「あ、これ? 千鶴ちゃんのだよ。彼女、自分を殺そうとした隊士たちのお墓を掃除しててさ。偉いよねえ」
ぱん、と空間に叩きつけるようにして手拭いを広げた。沖田と斎藤の間に汚れを落とされた鮮やかな赤い柄が舞う。
斎藤の視界が遮られた刹那。
「ここには似合わない子だよね」
赤、白と、几帳面に並んだ矢羽柄の向こうで沖田が言った。
斎藤は眉を寄せた。
だが、ひらりと裾を下ろした手拭いをたたみ始めた沖田の笑顔は普段と何ら変わらない。
斎藤は小さく息を吐いた。
「──それがお前の考えか」
「ん?」
「雪村の考えは違うようだが」
「……何のこと?」
笑顔で首を傾げた沖田を一瞥すると「本人と話をしろ」と言い置いて斎藤は去った。
醒めた目で斎藤の消えた先を眺める沖田の背を、かすかな風がひやりと撫でていった。
午(ひる)時を前に淡雪は露と消えたが、墓地には湿気た冷気が低く垂れ籠めて残った。
午を過ぎても曇天下の地面は濡らされたまま陽に温められる機会もなく、冷たく凝(こご)っていた。
その中でなお、千鶴は墓碑にすら名を残すことが許されなかった隊士たちの前に跪いていた。
少し視線を上げると、無名の石碑より少し奧まった場所に、故あって粛正された隊士たちの墓が戒名を与えられて並んでいるのが見える。綱道の上洛より以前に行われた粛正では命か薬かの二者択一を迫られる必要がなかったのだ。
薬さえ無ければ、血に狂う化け物と化して残虐な罪を犯すこともなかったはずの者たち。粛正の憂き目に遭ったとしても、薬さえ無ければ少なくとも人として葬られることは叶ったはずだ。
「……そんな薬を、作った人の…娘なのに……仲間に、なんて……」
なれるはずも。
最後の言葉は音にならなかった。
千鶴は奥歯を噛みしめた。
ざ、と地面に両手をつき砂利を掴んだ。
土と露を含んだ砂利は白い手を汚した。構わずに握り締める拳の中から、ぎちりと砂利が不快な音を立てる。
詰めていた息を一気に吐き出すと、周囲までが白く霞んだ。
刻は過ぎ八つ時も終わろうかという頃合いになると、薄闇が墓石の合間に紛れ込み始めた。
自分の手拭いで石碑を磨いた千鶴は、再び墓石の前に膝をついていた。
隊士たちの冥福を祈り、父と薬と新選組に関してまとまらぬ想いを巡らせ、墓の掃除をし、やることが無くなってしまってもまだ、千鶴はそこを立ち去ることが出来ないでいた。
膝をつき、両腕をだらりと脇に下ろしてぼんやりと石碑を見つめる。片手には湿気た土埃にまみれた矢羽柄の手拭いを持ったままだ。冷え切っている上に手拭いが含む水分で更に体温を奪われ、その指先は汚れた柄のように鈍い赤に変色していた。
「……とうさまの、せいで……」
指先の色に反して声には全く色がなかった。
白くなる息に紛れた声は彼女の口元だけをかすめて霧散した。
他の誰の耳にも届かなかったはずのその声を、だが彼女の背後で拾った者がいた。
「おかげで、とも言えるけどね。山南さんの左腕は動くようになったんだから」
千鶴は首だけを僅かに動かして声の主を視界の端に収めた。
薄い笑いを浮かべた沖田がそこに居た。
「こんなところでこんな時間まで何してるのかな。お墓参り? そこに居るのは君を殺そうとした隊士たちなんだけど」
敷石の上を綺麗に歩いて、沖田は千鶴の隣に立った。千鶴は彼と視線を合わせようとはせず、僅かに巡らせていた首を元に戻した。
「……そうですけど……」
相変わらず千鶴の声は感情が抜け落ちたようだった。
「あの人たちを……変えてしまったのは…父の薬です……」
彼女の口から白い歪(いびつ)な塊りが幾つも立ち昇る。
それを、苛立たしげに吐いた沖田の溜息がかき消した。
「君さ。自分が子供なんだってこと、もっと理解しようよ。綱道さんの研究も隊士たちの選択も、君が責任を負うことじゃないし負えるわけもない。それよりも君がしなければいけないことが他にあると思うんだけど」
沖田の声が容赦なく千鶴に降る。
それを身じろぎもせずに全て受けて、千鶴はぽそりと呟いた。
「父様を、探す……」
「そのために生かされてるってこと、忘れてないよね」
笑みの気配の無い沖田の声に、千鶴は細く細く、長く、息を吐いた。
「そうですね……」
ようやく千鶴の声に感情が乗った。
苦い色だった。
千鶴がゆらりと身を起こす。
立ち上がろうとして──だが膝が上手く伸びなかった。
体勢が崩れた。
後ろ向きに倒れかけた千鶴を沖田は反射的に抱きとめた。
小柄な彼女は沖田の腕の中に収まり、それでもまだ沖田の懐には余裕があった。倒れかけた勢いのまま傾いた首筋は細く、肩は薄く、その身は軽かった。
沖田は少し目を細めた。
千鶴をそっと引き上げて立たせ、両腕で支える。
千鶴は沖田の腕の中に収められたまま、抵抗する素振りを見せなかった。
沖田は少し身をかがめた。
湿気をおびて氷のように冷たい千鶴の頭に頬を乗せると、前髪が降りてきて沖田の顔を隠した。
「……君はさっさと綱道さんを見つけて、ここを出て行くべきじゃないかな」
千鶴が今まで耳にしたことがないほど優しい声音で沖田は言った。声に混じる呼気がふわりと白くなる。
「君がここを出ても新選組の秘密を漏らすなんて、もう誰も思ってないよ。後はきっと……新選組が、悪いようにはしない」
千鶴の返答は無かった。
沖田は顔を上げ、千鶴が立っていられるかどうかを確認しながら、彼女を囲っていた腕をゆっくりと解いた。
その場に立った千鶴は、何か考えているのかただ憂いているのか判然としない瞳を足元に落としていた。
沖田は小さく息をついた。
千鶴の手から手拭いを抜き取る。そして空いているほうの手を千鶴の頬に添えた。
「──もうすぐ、夕飯だから。早く戻りなよ」
体温を残すように。
或いは、離すのを惜しむように。
沖田の手は千鶴の頬の上で少しの逡巡を見せ、そして離れていった。
返答をするでもなく沖田を見送るでもなく、千鶴は足元に視線を落としたまま、暫くそこに佇んでいた。
屯所に戻った沖田は井戸で水を汲むと洗い桶に千鶴の手拭いを放り込んだ。
無造作に片手を突っ込んで一瞬、動きを止める。
指先で手拭いをつまんで桶から引き上げた。
手拭いのほうが冷たかったのかもしれない。井戸水の温度は、寒い時分には温かく感じられるものだ。
沖田は滴る水を無表情に眺め、そして、両手で手拭いを洗い始めた。
それから間もなくして沖田が洗った手拭いを絞り桶の水を流していると、縁側に文箱を持った斎藤が通りかかった。
「……総司」
井戸端の沖田に、斎藤が声を掛けた。
「ん? もうすぐ夕飯だって、伝えてきたけど?」
振り返り、誰に、とは言わず。千鶴を呼びに行かせた張本人に沖田は笑顔で返答した。
沖田の笑顔に対し、斎藤は怪訝そうな眼差しを無言で沖田の手元に向けた。赤い矢羽柄の手拭いはどう見ても沖田のものではあり得ない。
沖田は更ににこやかに笑った。
「あ、これ? 千鶴ちゃんのだよ。彼女、自分を殺そうとした隊士たちのお墓を掃除しててさ。偉いよねえ」
ぱん、と空間に叩きつけるようにして手拭いを広げた。沖田と斎藤の間に汚れを落とされた鮮やかな赤い柄が舞う。
斎藤の視界が遮られた刹那。
「ここには似合わない子だよね」
赤、白と、几帳面に並んだ矢羽柄の向こうで沖田が言った。
斎藤は眉を寄せた。
だが、ひらりと裾を下ろした手拭いをたたみ始めた沖田の笑顔は普段と何ら変わらない。
斎藤は小さく息を吐いた。
「──それがお前の考えか」
「ん?」
「雪村の考えは違うようだが」
「……何のこと?」
笑顔で首を傾げた沖田を一瞥すると「本人と話をしろ」と言い置いて斎藤は去った。
醒めた目で斎藤の消えた先を眺める沖田の背を、かすかな風がひやりと撫でていった。
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