期間限定薄桜鬼ブログ
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**********
「……」
ごろりと、寝返りを打つ。
夕食も済ませお風呂もいただいて後はもう寝るばかり……なんだけど。
沖田さんが変なことを言ったせいで眠れません……!
私は何度目かの寝返りを打った後、諦めて身を起こした。
そうすれば嫌でも沖田さんの隊服が目に入る。足下に置いた衣桁(いこう)に掛けてあるんだから当然なんだけど。
ああ、でもちゃんと目に入っているほうがましかも知れない。そこにあるのはただの隊服で、隙あらば悪戯を仕掛けてくる沖田さん本人でも分身でもないんだから。
「はぁ……」
安堵だか疲労だか自分でもよく分からないため息をついて、私は行灯に火を入れた。ほとんど闇色に沈んでいた浅葱の色彩がぼんやりと戻ってくる。
──新選組の隊服。
切腹の時の裃(かみしも)の色である浅葱色に、忠臣蔵の討ち入り衣装に倣ったというだんだら模様。背には「誠」の文字。
「……」
何となく、隊服の前に正座をした。そうせざるを得ないような気がして。
ちり、と行灯の中で炎が鳴った。浅葱の上に影の波が走った。
──私は新選組の一員では、ない。これに袖を通すことは許されない。
皆はどんな思いでこれに袖を通しているんだろう。
意気揚々と? 誇りを持って?
手応えのない感触の言葉を、軽く首を左右に振って払い落とす。
思いの及ぶ範囲で予想してみても上っ面を撫でることしか出来ないような気がする。
私は剣に生きる者ではないから。
『君には、わからないかもしれませんね……』
あの時の山南さんの言葉が頭の中で蘇る。
『剣客として死に、ただ生きた屍になれと言うのであれば──人としても、死なせてください』
思い出しただけでも辛い言葉。
堪えきれず目を閉じ、ぎゅっと瞑って大きく息を吸い、吐く。
剣客でなくなれば生きた屍に過ぎないなんて。
あの時。
山南さんが【薬】を飲んで理性を失いかけた時。
失敗したと思った山南さんは死ぬつもりだったんだと思う。
それを正確に感じ取った沖田さんは「介錯する」という言葉を使った。
でも致命傷は与えなかった。
山南さんが正気に戻ることに賭けたのかな……。
狂ってしまう危険があっても、山南さんの腕が治り、彼が剣客であり続けられることを良しとして。
そういえば沖田さんは最初から山南さんに【薬】を使わせてはどうかと言っていた。永倉さんたちは反対していたみたいだったけど。
──剣客として死ねば生きた屍。
沖田さんもそう思っているのだろうか。
私は目を開けて長い溜息を吐いた。
「誠」を染め抜いた浅葱の羽織は黙して語らない。
沖田さんと永倉さんの意見が分かれたように、剣に生きる人たちも、その生き方については各々違う考えを持っているのかも知れない。
どれ一つとして、私には理解できないのかも知れないけれど。
一つ一つを大切に思うことなら……。
私は立ち上がって、衣桁から羽織りを外した。そして行灯の傍に座り、表地と裏地を丹念に確認する。
当たり前かもしれないけど、やっぱり無い。
私は針箱を取りに、部屋の隅へと向かった。
*
翌朝。朝食を済ませるとすぐに、私は沖田さんの部屋へ隊服を届けに行った。結局、皺を取るのに少し火熨斗(ひのし)を掛けたけど、綺麗になったと思う。
お詫びを言って隊服を差し出すと、沖田さんは「ありがとう」と無造作にそれを羽織った。今日は一番隊が巡察当番らしい。
ど、どうしよう、今言っておこうかな……。
黙っていて後で発覚するのもばつが悪い。
なんて少しでも迷うと、この人にはすぐに見透かされる。
「どうしたの?」
ほら、もう楽しげな笑みを浮かべて私を斜め上から覗き込んでいる。
「えっと……」
どうやって切り出そうか迷うけれど、もう言うしかない。
「……左の前身頃の内側を、見ていただけますか? 羽織紐の少し下辺りなんですけど……」
ひょいと衿をつまんで沖田さんが前身頃を持ち上げる。
その内側には小指の先ほどの大きさの文字で縫い込まれた「沖田」の文字。
「何、これ?」
「えっと、隊服ってどれも同じじゃないですか。洗う時とか、誰のか分からなくなって困ったりしないかな、って思って……」
目が多少泳ぐのを自覚しつつ、一晩かけて用意した言い訳を口にする。
本当の理由を言うのは憚(はばか)られた。大切にしたいだなんて──私の勝手な感傷に過ぎないってわかってるし、恥ずかしすぎる。
「嫌でしたら今すぐ外します」
袂に入れていた糸切りばさみを出しながら早口で言い添えた。
「……次から次へとよく思いつくなあ」
沖田さんはちょっと呆れたような口調でそう言うと、羽織紐をいつものように交差させて結んだ。
「別にどうでもいいよ、外側からは見えないし。でもこれ、全員分縫うつもり?」
「はい、できれば。土方さんにお願いして、平隊士さんのぶんも縫いたいと思ってます」
外せと言われなかったことにほっとしながら、私は沖田さんの問いに答えた。
もし許されるなら全員の名前を縫いとめたい。一針一針、大切に。
「……それ、一年前なら二、三十人ぶんだけど、今だと二百人ぶんだよ」
「はい。やってみましたけど名字だけならそんなに時間もかかりませんし、大丈夫です」
「へえ。その割には、赤い目をしてるけど?」
「え!?」
私は慌てて目を擦った。
寝てないのは本当だ。言い訳を考えたり、それから……。
「沖田、の下に幾つか針を通した跡があるよね。本当はかなり失敗して時間がかかってるとか?」
「それは……そ、総の字が難しくて……それで名字だけにしたんです」
嘘じゃない。
私には難しかった──だって縫っている間はどうしてもその名前が頭にあるわけで……男の人の、名前をずっと思い浮かべているなんて私には初めてで……!
頬がかっと熱くなった。
「ふうん」
顔を赤くしているはずの私を面白そうに見下ろすと、沖田さんは部屋の奧の刀掛けから大小をとって腰に差した。そして私の傍を抜けて縁側に出る。からかうには絶好の隙を見せてしまったと思うのだけど……見逃してくれたのだろうか。
と、沖田さんは振り返って爽やかに笑った。
「だけど新選組にはもうひとり、沖田がいるんだ」
「……え?」
「だから後で名前も足しておいてくれるかな」
「……ええ!?」
「やり始めたことはちゃんとやろうね」
じゃ、と手を振って沖田さんは歩き去る。
──見逃してくれるなんてあり得ませんでした。
沖田さんは字画の多い「総」の字という障害を私の前に置いて、やってみろとばかりに楽しんでいるんだと思うのだけど……私にとっては。
「総司」という名を思い続けなければならない時間の長さを思って、熱くなっていく手を握り締めた。
手にしたままの糸切りばさみが、きゅっと鳴った。
***
それから日を置かずして新選組約二百名は千鶴も伴い、壬生から西本願寺へと屯所を移した。
更に翌四月には新たに江戸で隊士を募り、五月には江戸に残留していた藤堂平助と共に五十余名が入京。組織も再編成され、二分隊を一個小隊とする、当時としては画期的な軍制度を敷いた。
一方で、粛正される隊士の数も増えていく。
新選組の名を冠してよりここまで山南敬介を含めても十名程度だった粛正者の数は、西本願寺に屯所が移った慶応元年三月よりその年が暮れる一年足らずの間に八名を数えることとなる。中には【新撰組】へと転属した者も居たが、それも含め命を落とした隊士達は、主に壬生屯所近くの光縁寺に葬られるようになった。
その中には、千鶴の眼前で血に狂い斎藤一によって粛正された三名の【新撰組】隊士の名もあった。
壬生寺から光縁寺に移された彼らの墓には名が刻まれたのだ。
以後、【新撰組】── 後に【羅刹隊】と呼ばれるようになる者たちは、血に狂って粛正されても名を刻まれ人として葬られることになる。
慶応元年五月、雪村千鶴が土方歳三に提出した嘆願によるものであった。
終幕
「……」
ごろりと、寝返りを打つ。
夕食も済ませお風呂もいただいて後はもう寝るばかり……なんだけど。
沖田さんが変なことを言ったせいで眠れません……!
私は何度目かの寝返りを打った後、諦めて身を起こした。
そうすれば嫌でも沖田さんの隊服が目に入る。足下に置いた衣桁(いこう)に掛けてあるんだから当然なんだけど。
ああ、でもちゃんと目に入っているほうがましかも知れない。そこにあるのはただの隊服で、隙あらば悪戯を仕掛けてくる沖田さん本人でも分身でもないんだから。
「はぁ……」
安堵だか疲労だか自分でもよく分からないため息をついて、私は行灯に火を入れた。ほとんど闇色に沈んでいた浅葱の色彩がぼんやりと戻ってくる。
──新選組の隊服。
切腹の時の裃(かみしも)の色である浅葱色に、忠臣蔵の討ち入り衣装に倣ったというだんだら模様。背には「誠」の文字。
「……」
何となく、隊服の前に正座をした。そうせざるを得ないような気がして。
ちり、と行灯の中で炎が鳴った。浅葱の上に影の波が走った。
──私は新選組の一員では、ない。これに袖を通すことは許されない。
皆はどんな思いでこれに袖を通しているんだろう。
意気揚々と? 誇りを持って?
手応えのない感触の言葉を、軽く首を左右に振って払い落とす。
思いの及ぶ範囲で予想してみても上っ面を撫でることしか出来ないような気がする。
私は剣に生きる者ではないから。
『君には、わからないかもしれませんね……』
あの時の山南さんの言葉が頭の中で蘇る。
『剣客として死に、ただ生きた屍になれと言うのであれば──人としても、死なせてください』
思い出しただけでも辛い言葉。
堪えきれず目を閉じ、ぎゅっと瞑って大きく息を吸い、吐く。
剣客でなくなれば生きた屍に過ぎないなんて。
あの時。
山南さんが【薬】を飲んで理性を失いかけた時。
失敗したと思った山南さんは死ぬつもりだったんだと思う。
それを正確に感じ取った沖田さんは「介錯する」という言葉を使った。
でも致命傷は与えなかった。
山南さんが正気に戻ることに賭けたのかな……。
狂ってしまう危険があっても、山南さんの腕が治り、彼が剣客であり続けられることを良しとして。
そういえば沖田さんは最初から山南さんに【薬】を使わせてはどうかと言っていた。永倉さんたちは反対していたみたいだったけど。
──剣客として死ねば生きた屍。
沖田さんもそう思っているのだろうか。
私は目を開けて長い溜息を吐いた。
「誠」を染め抜いた浅葱の羽織は黙して語らない。
沖田さんと永倉さんの意見が分かれたように、剣に生きる人たちも、その生き方については各々違う考えを持っているのかも知れない。
どれ一つとして、私には理解できないのかも知れないけれど。
一つ一つを大切に思うことなら……。
私は立ち上がって、衣桁から羽織りを外した。そして行灯の傍に座り、表地と裏地を丹念に確認する。
当たり前かもしれないけど、やっぱり無い。
私は針箱を取りに、部屋の隅へと向かった。
*
翌朝。朝食を済ませるとすぐに、私は沖田さんの部屋へ隊服を届けに行った。結局、皺を取るのに少し火熨斗(ひのし)を掛けたけど、綺麗になったと思う。
お詫びを言って隊服を差し出すと、沖田さんは「ありがとう」と無造作にそれを羽織った。今日は一番隊が巡察当番らしい。
ど、どうしよう、今言っておこうかな……。
黙っていて後で発覚するのもばつが悪い。
なんて少しでも迷うと、この人にはすぐに見透かされる。
「どうしたの?」
ほら、もう楽しげな笑みを浮かべて私を斜め上から覗き込んでいる。
「えっと……」
どうやって切り出そうか迷うけれど、もう言うしかない。
「……左の前身頃の内側を、見ていただけますか? 羽織紐の少し下辺りなんですけど……」
ひょいと衿をつまんで沖田さんが前身頃を持ち上げる。
その内側には小指の先ほどの大きさの文字で縫い込まれた「沖田」の文字。
「何、これ?」
「えっと、隊服ってどれも同じじゃないですか。洗う時とか、誰のか分からなくなって困ったりしないかな、って思って……」
目が多少泳ぐのを自覚しつつ、一晩かけて用意した言い訳を口にする。
本当の理由を言うのは憚(はばか)られた。大切にしたいだなんて──私の勝手な感傷に過ぎないってわかってるし、恥ずかしすぎる。
「嫌でしたら今すぐ外します」
袂に入れていた糸切りばさみを出しながら早口で言い添えた。
「……次から次へとよく思いつくなあ」
沖田さんはちょっと呆れたような口調でそう言うと、羽織紐をいつものように交差させて結んだ。
「別にどうでもいいよ、外側からは見えないし。でもこれ、全員分縫うつもり?」
「はい、できれば。土方さんにお願いして、平隊士さんのぶんも縫いたいと思ってます」
外せと言われなかったことにほっとしながら、私は沖田さんの問いに答えた。
もし許されるなら全員の名前を縫いとめたい。一針一針、大切に。
「……それ、一年前なら二、三十人ぶんだけど、今だと二百人ぶんだよ」
「はい。やってみましたけど名字だけならそんなに時間もかかりませんし、大丈夫です」
「へえ。その割には、赤い目をしてるけど?」
「え!?」
私は慌てて目を擦った。
寝てないのは本当だ。言い訳を考えたり、それから……。
「沖田、の下に幾つか針を通した跡があるよね。本当はかなり失敗して時間がかかってるとか?」
「それは……そ、総の字が難しくて……それで名字だけにしたんです」
嘘じゃない。
私には難しかった──だって縫っている間はどうしてもその名前が頭にあるわけで……男の人の、名前をずっと思い浮かべているなんて私には初めてで……!
頬がかっと熱くなった。
「ふうん」
顔を赤くしているはずの私を面白そうに見下ろすと、沖田さんは部屋の奧の刀掛けから大小をとって腰に差した。そして私の傍を抜けて縁側に出る。からかうには絶好の隙を見せてしまったと思うのだけど……見逃してくれたのだろうか。
と、沖田さんは振り返って爽やかに笑った。
「だけど新選組にはもうひとり、沖田がいるんだ」
「……え?」
「だから後で名前も足しておいてくれるかな」
「……ええ!?」
「やり始めたことはちゃんとやろうね」
じゃ、と手を振って沖田さんは歩き去る。
──見逃してくれるなんてあり得ませんでした。
沖田さんは字画の多い「総」の字という障害を私の前に置いて、やってみろとばかりに楽しんでいるんだと思うのだけど……私にとっては。
「総司」という名を思い続けなければならない時間の長さを思って、熱くなっていく手を握り締めた。
手にしたままの糸切りばさみが、きゅっと鳴った。
***
それから日を置かずして新選組約二百名は千鶴も伴い、壬生から西本願寺へと屯所を移した。
更に翌四月には新たに江戸で隊士を募り、五月には江戸に残留していた藤堂平助と共に五十余名が入京。組織も再編成され、二分隊を一個小隊とする、当時としては画期的な軍制度を敷いた。
一方で、粛正される隊士の数も増えていく。
新選組の名を冠してよりここまで山南敬介を含めても十名程度だった粛正者の数は、西本願寺に屯所が移った慶応元年三月よりその年が暮れる一年足らずの間に八名を数えることとなる。中には【新撰組】へと転属した者も居たが、それも含め命を落とした隊士達は、主に壬生屯所近くの光縁寺に葬られるようになった。
その中には、千鶴の眼前で血に狂い斎藤一によって粛正された三名の【新撰組】隊士の名もあった。
壬生寺から光縁寺に移された彼らの墓には名が刻まれたのだ。
以後、【新撰組】── 後に【羅刹隊】と呼ばれるようになる者たちは、血に狂って粛正されても名を刻まれ人として葬られることになる。
慶応元年五月、雪村千鶴が土方歳三に提出した嘆願によるものであった。
終幕
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